世界の遠近法(1) 双子の村

 人口の15%が双子。その不思議な村がインドにあることを知ったのは、数年前に喫茶店で英字新聞を読んでいる時だった。村の名前だけを手帳にメモして、その後すっかり忘れていたが、インド滞在中にふとそれを思い出した。宿のベッドに横になり、双子だらけの村にいる自分を想像する。双子に囲まれ、撮影する構図を頭のなかで描く。ここまで来たらもう決まりだ。行くしかない。元々一度行くと決めたらいてもたってもいられない性分。翌朝から行動を開始した。
 それにしてもその村が広大なインドのどこにあるのか皆目見当もつかない。インターネットカフェや役場を訪れて村の所在を調べるが、まったく情報は得られない。日本では考えられないことだが、インドでは全国の村を網羅したデータベースや地図は存在しないようである。数日間調べても一向に手がかりはない。一ヵ月後、半ばあきらめて旅を続けていたところ、たまたまニューデリーで知り合ったインド人の男に誘われて彼の家で食事中にその話しをすると、「ん?確かその村のことを聞いたことがある。ちょっと待ってくれ・・・」と部屋を出て行く。間もなく彼は使用人を連れて戻ってきた。なんとその使用人が双子の村の隣村の出身だというのだ!なんという幸運!さすが神の国、僕の強い想いが通じたのだ。使用人に聞くと確かに村の名前が一致し、そこは双子だらけだという。ただしニューデリーから離れること600km、付近に交通網はなく、案内なしに一人で行くのは難しいところだと教えてくれた。いや僕は意地でも行く。丁重に礼を言って地図を書いてもらった。
 さっそく翌朝出発した。僕はまだ見ぬ人々が暮らす地に向かっている時の期待と緊張による気分の高揚感が大好きだ。ましてやそれが双子だらけの不思議な村となると高揚感は絶頂に達する。もちろん不安もある。果たしてたどり着けるのか?村人たちは僕をあたたかく迎えてくれるのか?
 40度を超える酷暑の中、列車やバス、人力車を乗り継ぎ、徒歩もあわせて15時間。握りしめ続けてボロボロになった地図は見事な正確さだった。無理を言って遠乗りした人力車を降りたのは畑のなか。広大な農地の向こうにぽつぽつと家が建っている。土で塗り固めた家が多いことから、決して裕福な暮らしではないことがうかがえる。牛やニワトリがウロウロするあぜ道を歩いていると、得体の知れない外国人に気がついた村人がどこからともなく次から次へと集まってくる。なるほど、後ろを着いてきたはずの子どもが正面から走ってきたり、同じ顔をした二人が鍬を抱えて並んでニヤニヤしていたり、不思議の国に迷いこんでしまったような感覚だ。しばらくすると、お前は誰だ、なぜこんなところに来たのかといった質問攻めに合う。英語はほとんど通じないので会話は身振り手振り。その僕の身振り手振りがまた皆の大笑いを誘う。自分は日本の写真家で、どうしてもこの村が撮りたくて来たと言うと、俺を撮れ、私を撮っての大合唱がはじまり、収拾がつかなくなった。村のリーダーらしき青年が、集まった村民の中から次々に双子を選び出してペアで紹介してくれた。カードならぬ人間を使った神経衰弱ゲームのようである。
 村の人口約800人のうち100人以上が双子。双子の出生率はどこの国でもあまり差はなく、0.4%程度だと聞いたことがある。この村の双子出生率は明らかに高い。もっとも昨今は若者たちが村を出て市街地に移り住むことが増えたこともあって、双子は減少傾向にあるらしい。それでもいまだに村には双子が溢れている。遺伝子の専門家が村民の血液を採取して調査しているらしいが、なぜ双子出生率が極端に高いのかはっきりしたことはわかっていない。
 この村の長老、モハンマドさんの家に招待されてお茶をごちそうになった。子どもたちを中心に50〜60人は集まっているだろうか。2ペアの視線をたくさん浴びながら少し落ち着かないティータイム。長老はすべての村民の顔と名前をしっかりと憶えていて、騒ぐ子どもたちを一人ひとり叱っている。長老に叱られた子どもたちは舌を出しながらも年長者に尊敬の念を抱いているのがよくわかる。双子の赤ん坊が泣き始める。モハンマドさんは「ここは神の宿るガンジス河とヤムナー河の合流地点に近い最も聖なる場所で、双子は神様からの贈り物だ。我々は神に選ばれた幸運な人間なんだ」と誇らしげに言って両腕に双子の赤ん坊を抱き上げた。
 帰途につき、それまでの高揚感が穏やかな幸福感と郷愁感に変わっていく。見知らぬ文化や人々と出会い、自分の根からまた細い根が枝分かれして養分を蓄えられたような感覚になる。と同時になぜか日本が少し恋しくなる。それは、子どものころ外で遊んでいて、ほんの一瞬、我が家や家族が恋しくなったあの感覚と同じかもしれない。